イーモリ、見てくれ!あの地球人、キッチンからリビングに移動した瞬間に立ち止まったぞ!
ああ、あれは面白い現象だね。あの人、何かを取りに来たのに、部屋に入った瞬間に目的を忘れてしまったんだ。
えっ!?ドアを通っただけで忘れるの!?地球人の記憶力ってそんなにポンコツなのか!?
ポンコツじゃないよ。これは「ドアウェイ効果」と呼ばれている現象なんだ。
ドアウェイ効果?ドアに何か特殊な電波でも出てるのか?
いや、ドア自体には何も仕掛けはないよ。問題は脳の方にある。
おぉ、出た!イーモリの解説タイムだ!
2006年にノートルダム大学のラドバンスキー教授たちが、ある実験をしたんだ。被験者に仮想空間の中でオブジェクトを持って移動してもらったんだけど——
仮想空間!?地球人もVRを使ってるのか!
うん。で、同じ距離を移動しても、ドアをくぐって別の部屋に入った人は、同じ部屋の中を移動した人に比べて、持っていたオブジェクトの記憶が明らかに悪くなったんだ。
なにーーーーーーーーーー!同じ距離なのに!?ドアを通っただけで!?
そう。しかも2011年の追跡実験では、仮想空間だけじゃなくて現実の建物でも同じ結果が出た。つまり、実験室のVRだけの話ではなさそうなんだ。ただし注意点として、McFadyenらが2021年に追試した研究では、4実験中3実験でこの効果を再現できなかった。条件によって出たり出なかったりする、まだ解明途上の現象でもあるんだよ。
でもなんで?ドアって物理的には薄い板じゃないか。何がそんなに脳に影響するんだ?
いい質問だね。これを説明するのが「イベントセグメンテーション理論」なんだ。2007年にザックスたちが提唱した理論で、脳は日常の経験を連続した流れとしてではなく、「イベント」という区切りに分けて処理しているという考え方だよ。
イベント?お祭りみたいな?
いや、もっと小さな単位だよ。たとえば「コーヒーを入れる」「デスクに座る」「メールを確認する」——こういう日常の行動ひとつひとつを脳は別々の「イベント」として認識しているんだ。
ふむふむ。で、ドアがそのイベントの「区切り」になるってこと?
その通り!脳はドアや部屋の境界を「イベント境界」として認識する。すると脳は「前のイベントは終了、新しいイベントが始まった」と判断する。このとき、前の部屋で作られたイベントモデルと新しいイベントモデルが干渉し合って、前の情報にアクセスしにくくなるんだ。
つまり前のイベントの情報を捨てちゃうってこと!?
「捨てる」というより「アクセスしにくくなる」が正確かな。2016年のペティジョンとラドバンスキーの実験でも、時間経過や一時的な混乱ではなく、複数のイベントモデル同士の「干渉」が原因だと確認されているんだ。
なるほど…。でもそれって不便じゃないか?大事なことまで忘れちゃうんだろ?
実はこれ、脳にとっては合理的な戦略なんだよ。ザックスの理論では、脳は常に「次に何が起こるか」を予測しながら生きている。同じ部屋にいる限り予測は安定するんだけど、新しい空間に入ると「環境が変わった!」という予測エラーが起きる。
予測エラー?
うん。脳が「今までのパターンが通用しなくなった」と感じる瞬間だね。このとき中脳のドーパミン系がゲート信号を出して、前頭前野のワーキングメモリに「モデルを更新しろ!」と伝える。すると脳はそれまでのイベントモデルを閉じて、新しいイベントモデルを立ち上げる。
まるでパソコンのアプリを閉じて新しいアプリを起動するみたいだな!
いい例えだね。そしてバルダッサーノたちが2017年に『Neuron』誌に発表した研究では、fMRIで脳をスキャンしながら映画を見せたら、イベント境界のタイミングで海馬の活動が急激に高まることがわかったんだ。
海馬って記憶の倉庫番だよな?
そう。海馬はイベント境界で活動が高まり、それまでのイベントを長期記憶に「保存」する処理を行う。同時にデフォルトモードネットワーク——内側前頭前皮質や頭頂葉などの領域が、それまで蓄積していた情報パターンを大きくリセットするんだ。
じゃあドアをくぐるたびに、脳の中では「保存」と「リセット」が同時に起きてるってこと!?
その通り。しかもバルダッサーノらの研究では、このような脳パターンの切り替えはイベント境界の前後で急速に起こることが示されている。
境界の前後で一気に切り替わるのか!
面白いのは、最近の研究でさらに興味深い知見が出ているんだ。クロケットやラドバンスキーたちが先行研究の「複数の部屋で学習すると記憶が良くなる」という効果を検証したんだけど、その改善効果は境界の直近の情報にしか出ず、しかも別の部屋を通るとすぐ消えてしまうことがわかったんだ。
えっ!?改善効果があると思われてたのに、実は限定的だったのか!?
そう。境界の直近にある情報には多少の記憶促進効果があったものの、別の部屋に移動するとすぐに薄れてしまった。つまり「ドアが記憶を助ける」と言えるほどの効果は確認されなかったんだ。
なるほど…。じゃあ、この「ドアウェイ効果」を防ぐ方法ってあるのか?僕もパンケーキを取りにキッチンに行って何しに来たか忘れることがあるんだけど…。
理論的にはいくつかの対策が考えられるよ。まず一番シンプルなのは「リハーサル」——ドアをくぐる前に目的を口に出して復唱することだ。「ハサミを取りに行く、ハサミを取りに行く」ってね。
独り言みたいだけど効くのか?
効くと考えられているよ。言語化することでワーキングメモリの中の情報が強化されて、イベント境界を越えても維持されやすくなるんだ。特に認知的負荷が高い——つまり同時に色々考えている時ほど、ドアウェイ効果は強くなることがMcFadyenらの研究でも示されているから、目的を明確にしておくことが大事なんだ。
ふっふっふ…。つまり、この理論を応用すれば、地球人の記憶をドアで操作できるということだな! 地球人の部屋にドアを100枚つけて、全員の記憶をリセットしてやれば——
…やめておきなよ。まず100枚のドアをつける費用はどうするの。
う…。そうだった。僕、さっき何の計画を考えてたんだっけ…。
…今まさにドアウェイ効果が起きてるね。この会話の場面が切り替わって、自分の計画を忘れたんだ。
ガーン!僕の脳もイベント区切りされてる!
僕らの脳にも機械が入っているとはいえ、空間認知に基づくイベントセグメンテーションは基本的な認知機能だからね。ちなみに、この効果は物理的なドアだけじゃなくて、想像の中でドアをくぐるだけでも起きることが確認されているんだ。
想像でも!?じゃあ僕がパンケーキのことを考えながら、頭の中で別の場所を想像しただけでもパンケーキのこと忘れちゃうの?
理論上はそうなり得るね。2016年のローレンスとピーターソンの研究で、頭の中で部屋を移動することを想像するだけでも記憶への干渉が起きることが示されているんだ。
地球人の脳って繊細だなぁ…。でもさ、逆にこのメカニズムが何かの役に立つことってあるの?
実はあるんだ。脳がイベントを区切ることで、記憶が整理されやすくなる。「あれはキッチンで起きたこと」「これはオフィスでの出来事」というふうに、場所と結びついた記憶は後から思い出しやすくなるんだよ。
あぁ!だから地球人は「場所法」っていう記憶術を使うのか!記憶したいものを建物の部屋に配置するやつ!
お、珍しく鋭いね。空間と記憶の結びつきという点では関連が指摘されているよ。空間的な境界は短期的には記憶を妨害するけど、長期的には記憶の構造化に役立っている可能性がある。つまり「忘れること」と「覚えること」は表裏一体なんだ。
深いな…。じゃあ今日のまとめとしては、ドアをくぐると脳が「新しい章が始まった!」と思って前の情報にアクセスしにくくなる、ってことだな?
よくまとめたね。大事なのは、これは脳の「バグ」じゃなくて「仕様」だということ。脳は限られたリソースで効率よく世界を処理するために、空間の変化をきっかけに情報を整理しているんだ。だから「忘れた自分」を責めなくていい。
よかった!僕は悪くなかったんだ!さーて、この調査結果をレポートにまとめないとな。えーっと…何の調査してたんだっけ?
…ドアウェイ効果の話だよ。画面を切り替えただけで忘れないでくれ。
参考文献
Radvansky, G. A., & Copeland, D. E. (2006). Walking through doorways causes forgetting: Situation models and experienced space. Memory & Cognition, 34(5), 1150–1156.
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Radvansky, G. A., Tamplin, A. K., & Krawietz, S. A. (2010). Walking through doorways causes forgetting: Environmental integration. Psychonomic Bulletin & Review, 17(6), 900–904.
Radvansky, G. A., Krawietz, S. A., & Tamplin, A. K. (2011). Walking through doorways causes forgetting: Further explorations. Quarterly Journal of Experimental Psychology, 64(8), 1632–1645.
Lawrence, Z., & Peterson, D. (2016). Mentally walking through doorways causes forgetting: The location updating effect and imagination. Memory, 24(1), 12–20.
Pettijohn, K. A., & Radvansky, G. A. (2016). Walking through doorways causes forgetting: Event structure or updating disruption? Quarterly Journal of Experimental Psychology, 69(11), 2119–2129.
Baldassano, C., Chen, J., Zadbood, A., Pillow, J. W., Hasson, U., & Norman, K. A. (2017). Discovering event structure in continuous narrative perception and memory. Neuron, 95(3), 709–721.e5.
McFadyen, J., Nolan, C., Pinocy, E., Buteri, D., & Baumann, O. (2021). Doorways do not always cause forgetting: A multimodal investigation. BMC Psychology, 9, 41.
Crockett, N. A., Parra, D., Doolen, A. C., & Radvansky, G. A. (2026). Walking through doorways helps remembering, but not for long. Memory & Cognition, 54, 1688–1699.