イーモリ、あの地球人を見てくれ!さっきからずーっとベッドの上でゴロゴロ転がっているぞ。
ああ、出張でホテルに泊まっているみたいだね。もう深夜1時なのに、全然眠れていないようだ。
ベッドはふかふかだし、枕もたくさんあるし、部屋も静かだし……何が不満なんだ?僕なら3秒で寝るぞ!
ふふふ。ヤーモリはどこでも寝られるもんね。でもこれ、地球人にはすごくよくある現象なんだ。「初日効果(First Night Effect)」って呼ばれているよ。
初日効果? ……ゲームの初回ログインボーナスみたいなやつか?
違うよ。初めての場所に泊まった最初の夜は、寝つきが悪くなったり、夜中に目が覚めやすくなったりする現象のことだよ。ホテルの初日に眠れない、旅行先で寝られない、っていう経験は地球人ならほとんどの人があるんだ。
へぇ~。でもそれって、ただ枕が合わないとか、慣れない匂いが気になるとか、そういう話じゃないのか?
もちろんそういう表面的な要因もあるけど、実は脳の中でもっと根本的なことが起きているんだ。2016年にブラウン大学の玉置應子博士・佐々木由香博士らが『Current Biology』に発表した研究が、その正体を突き止めたんだよ。
お、なんだなんだ?正体って?
結論から言うとね、初めての場所で寝るとき、地球人の脳は「左半球だけ浅く寝ている」んだ。つまり、脳の半分が起きたまま見張りをしている状態なんだよ。
なにーーーーーーーーーー!?脳の半分が起きてる!?それって……半分寝ているのか、半分起きているのか、どっちなんだ!?
いい質問だね。この研究では、3つの実験で延べ35人の被験者に研究室で寝てもらって、脳の活動を精密に計測したんだ。すると、1晩目だけ左脳のデフォルトモードネットワーク(DMN)で徐波活動、つまり深い眠りの指標が明らかに減少していたんだよ。
DMN? なんか聞いたことあるな……ぼんやりしているときに活動するネットワークだろ?
そうそう、よく覚えているね。そのDMNが、初日の夜だけ左半球で眠りが浅くなっている。右半球は普通に深く眠っているのに、左半球だけ「夜の番人」みたいに半覚醒状態を保っていたんだ。
夜の番人!? かっこいいじゃないか! でも、なんで見張りなんかする必要があるんだ?ホテルは安全だろ?
現代のホテルは安全だけど、脳はまだ原始時代の生存プログラムで動いている部分があるんだ。知らない場所で眠るのは、野生では命がけの行為だったからね。この「半分起きている」状態は、周囲が安全かどうかを確認するための古い防衛システムなんだよ。
なるほど……。でも、半分起きているって言っても、実際に何かに反応できるのか?
それもちゃんと実験で確認されているよ。被験者が寝ている間に、不規則なビープ音を右耳と左耳に別々に流したんだ。右耳からの音は左脳で処理されるんだけど……
あ! 脳は左右逆に処理するんだったな! それで?
そう。初日の夜に限って、右耳からの音(左脳が処理)に対して被験者は目覚めやすく、しかも起きた後の反応速度も速かったんだ。つまり左脳の「番人」は、ただ浅く眠っているだけじゃなく、ちゃんと異常な音を検知して、素早く覚醒させる準備ができていたんだよ。
すごいな! 人間の脳って、無意識のうちにそんな高度なことをやっているのか……。あ、でもこれってイルカみたいだな!
おっ、鋭い! まさにその通りなんだ。イルカやクジラは「片半球睡眠(ユニヘミスフェリック・スリープ)」といって、脳の片方ずつ交互に寝る能力を持っている。水中で溺れないように、片方の脳で泳ぎながらもう片方を休ませるんだ。
鳥もそうだって聞いたことあるぞ! 飛びながら片目を閉じて寝るんだろ?
そうだね。海鳥のグンカンドリは何日も飛び続けるんだけど、飛行中に片半球ずつ眠ることがあるんだ。ただし飛行中の睡眠は1日40分程度とごく短くて、両半球が同時に眠る場面もあったそうだよ。地球人の初日効果は、こうした動物の片半球睡眠ほど極端ではないけれど、似た仕組みが進化の過程で受け継がれたものだと考えられているよ。
へぇ~。人間も昔は野生で寝ていたわけだから、そういう機能が残っていても不思議じゃないな。でもさ、なんで「左脳」なんだ? 右脳じゃダメなのか?
実はそこはまだ完全には解明されていないんだ。なぜ左脳なのかは、まだはっきり分かっていないんだ。ただ、さっきの玉置博士たちの研究では、2晩目にはこの左右差が消えていたから、左脳の番人役は初日限定の現象だと考えられているよ。ちなみに2019年の追跡研究では、レム睡眠中にも初日だけ見張りのような活動が見られたことが報告されていて、脳の警戒は深い眠りの時期だけじゃないらしいんだ。
ふむふむ。ところでさ、初めての場所で目が冴える仕組みについて、最近の研究で何か新しいことが分かったりしてないのか?
いい質問だ! 2026年に名古屋大学の研究グループが『PNAS』に発表したマウスの実験なんだけど、初めての環境で覚醒状態を維持する神経回路を特定したんだ。
おお、日本の大学の研究か! それで?
マウスの脳の「拡張扁桃体」という領域にあるCRF(コルチコトロピン放出因子)ニューロンが、新しい環境にいるときに活性化して覚醒を維持していることが分かったんだ。さらに、このCRF神経の中にある「ニューロテンシン」という神経ペプチドが、覚醒維持に重要な役割を果たしていたんだよ。
コルチコ……トロ……何? 名前が長すぎて脳がフリーズしそうだぞ!
ふふふ。簡単に言うと、脳の不安や恐怖を処理するエリアに「目覚まし時計係の神経」がいて、初めての場所ではそれが活発に働くから覚醒し続ける、ということだよ。マウスの実験では、この神経を人工的に活性化すると覚醒が促進されて、逆に抑制すると新しい環境でも覚醒維持が弱まったんだ。
つまり、ホテルで眠れないのは「脳に組み込まれた生存プログラムが勝手に発動している」ってことか! 自分のせいじゃないんだな!
そういうことだね。初日効果は「異常」じゃなくて、長い進化の中で身についた正常な防衛反応だと考えられているんだ。だから、初めての場所で眠れなくても自分を責める必要はないんだよ。
よーし! じゃあ地球人に「眠れないのは脳が優秀な証拠だぞ」って教えてあげよう! ……でもさ、実際に旅先で眠れないのは困るだろ? なんか対策はないのか?
あるよ。初日効果は「環境の新しさ」がトリガーだから、脳に「ここは安全で慣れた場所だ」と思わせればいいんだ。たとえば、自宅の枕カバーを持参してホテルの枕にかぶせるだけでも、馴染みのある匂いで脳の警戒レベルが下がるかもしれない。試してみる価値はあるよ。
枕カバー!? そんな簡単なことで!?
うん。嗅覚は扁桃体に直結しているからね。他にも、寝る前のルーティンを自宅と同じにすること、部屋の温度を涼しめに設定すること、到着したら少し部屋の中を歩き回って環境に慣れておくのもいいかもしれないね。
なるほどなるほど。つまり脳をだますんだな! 「ここは安全だぞ~、いつもの場所だぞ~」って!
そうそう。さっきも言ったけど、2晩目には左右差が消えて睡眠の質が改善するんだ。だから、大事な予定の前々日に着いておくと、本番前夜は2泊目になるから安心だよ。
ふっふっふ……。ということは、僕がたまに基地で全然寝られないのも、もしかして初日効果なのか!?
ヤーモリ、君はもう何年もこの宇宙船に住んでるだろ。それは初日効果じゃなくて、深夜まで地球のアニメを観ているからだと思うよ。
これは調査の一環だから仕方ないのだ!
はいはい。……さて、今日のまとめだけど、初日効果のポイントを整理するよ。まず、初めての場所で眠れないのは「初日効果」という生理現象で、地球人のほとんどが経験する。
脳の左半球が「夜の番人」として半分覚醒して、異常な音を検知する態勢を保っているんだったな!
そう。これはイルカや鳥の片半球睡眠と似た仕組みで、進化的な防衛反応と考えられている。また、2026年の名古屋大学のマウス実験では、拡張扁桃体のCRF神経が新しい環境での覚醒維持に関わっていることが分かった。人間の初日効果とは別の実験系だけど、「初めての場所で目が冴える」という現象の神経基盤を理解する手がかりになる研究だよ。
対策は、自宅の枕カバーを持参する、寝る前のルーティンを同じにする、部屋を歩いて環境に慣れる、大事な予定の前々日に着いておく!
完璧だね、ヤーモリ。こういうときだけ記憶力がいいな。
ふっふっふ。僕は隊長だからな! よーし、今度地球に潜入調査するときは、枕カバー持参で完璧な睡眠を取って、ハイパフォーマーとして活動するぞー!
……まずはアニメを観る時間を減らすところからだと思うけどね。
参考文献
Tamaki, M., Bang, J. W., Watanabe, T., & Sasaki, Y. (2016). Night watch in one brain hemisphere during sleep associated with the first-night effect in humans. Current Biology, 26(9), 1190–1194.
Hung, C. J., Ueda, S., Rahaman, S. M., Yamamoto, M., Li, J., Fukatsu, N., Bito, H., Yamaguchi, H., Yamanaka, A., Takemoto-Kimura, S., & Ono, D. (2026). Neurotensin in the extended amygdala maintains wakefulness in novel environments. Proceedings of the National Academy of Sciences. https://doi.org/10.1073/pnas.2521268123
Tamaki, M., & Sasaki, Y. (2019). Surveillance during REM sleep for the first-night effect. Frontiers in Neuroscience, 13, 1161.
Rattenborg, N. C., et al. (2016). Evidence that birds sleep in mid-flight. Nature Communications, 7, 12468.
Mascetti, G. G. (2016). Unihemispheric sleep and asymmetrical sleep: behavioral, neurophysiological, and functional perspectives. Nature and Science of Sleep, 8, 221–238.