イーモリ!イーモリ!大変だ!あの地球人を見てくれ!
どうしたんだい、ヤーモリ。また騒がしいな。
あの地球人、さっき初めて来た街なのに、一回道を通っただけでもう迷わず帰り道を歩いてるぞ!?カーナビも地図も使ってない!
ああ、それはね。実は脳科学の世界で、まさにその現象を説明する大発見があったんだよ。「BTSP(行動タイムスケールシナプス可塑性)」というメカニズムだ。
ビー・ティー・エス・ピー?なんかアイドルグループみたいな名前だな!僕はそっちのBTSの方が…
全然違うよ。BTSPは「Behavioral Timescale Synaptic Plasticity」の略。簡単に言うと、脳がたった1回の体験で神経回路を書き換える仕組みのことだ。デバイスブックを開くね。
たった1回で!?僕なんか3日に1回は宇宙船の場所を忘れるのに!?
それは君の問題だよ…。まず基本からいこう。脳の学習には「シナプス可塑性」という仕組みがある。神経細胞同士のつなぎ目であるシナプスの強さが変わることで記憶が形成される。有名なのが1949年にヘッブが提唱した「一緒に発火する神経細胞は、一緒に配線される」という法則だ。
あー、知ってる知ってる!漫画で読んだ
…漫画じゃなくて学術論文だけどね。ただ、このヘブの法則には大きな問題があった。働くためには2つの神経細胞が数十ミリ秒以内にほぼ同時に、しかも何度も繰り返し発火する必要がある。
数十ミリ秒!?まばたきより短いじゃないか!
そう。でも実際の生活を考えてみて。道を歩くとき、「角を曲がった」「コンビニを通った」「坂を上った」…これは数秒から数十秒の間隔で起きるよね?ヘブの法則だけでは、この「秒単位の出来事のつながり」を1回で学習することが説明できなかったんだ。
じゃあ、どうやって脳はそれをやってるんだ!?
そこで登場するのがBTSPだ。2017年、ジェフリー・マギーの研究チームがマウスの海馬CA1領域で驚くべきことを発見した。それまで何の情報もコードしていなかった「沈黙していた神経細胞」が、たった1回の「樹状突起プラトー電位」という特殊な電気信号をきっかけに、突然「場所細胞」に変身したんだ。
場所細胞って、ノーベル賞のあの場所細胞か!?それが1回で生まれるの!?
そうだよ。場所細胞は特定の場所にいるときだけ発火する神経細胞だけど、従来は形成に何度も往復が必要だと考えられていた。ところがBTSPでは、生きた動物(in vivo)の実験ではたった1回のプラトー電位で一瞬で作られる(なお、脳スライス実験では約5回の対合刺激が用いられる)。
プラトー電位…プラトーって、あの台地の「プラトー」か?
いいところに気づいたね。通常の神経信号は短いパルスだけど、プラトー電位は数百ミリ秒から数秒間「ぐーっ」と持続する大きな電気信号だ。台地のように高い状態が平らに続く。そしてここが革命的なんだけど、この数秒間の前後に届いた入力信号が、すべてまとめて強化される。
え!?前も後も!?ヘブの法則は「同時に発火」が条件だったのに!?
まさにそこがBTSPの最も革命的な点だ。プラトー電位の前に届いた信号も後に届いた信号も強化される。過去の数秒間と未来の数秒間をまるごと記憶できる。2026年のNature Neuroscience誌のレビュー論文でも、この「秒単位の双方向性」がBTSPの最大の特徴として強調されているよ。
つまり…「角を曲がった→コンビニを通過→坂を上った」っていう数秒間のストーリーが、1回で丸ごと脳に書き込まれるってことか!?
完璧な理解だよ。まさにそういうことだ。だからさっきの地球人は、一度通っただけの道を覚えられたんだ。
すごい…でもそんな強力な仕組みなら、なんでもかんでも覚えちゃって脳がパンクしないのか?
いい質問だ。2023年にXiaoたちがScience Advances誌で報告したんだけど、BTSPにはCaMKII(カルシウム・カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII)というタンパク質が重要な役割を果たしている。CaMKIIは自己リン酸化という仕組みを通じて、プラトー電位が起きた後の数秒間にわたるシナプス変化の「時間窓」を維持しているんだ。つまりBTSPが秒単位で働ける理由の鍵を握っているタンパク質だよ。
へえ!つまりCaMKIIがないと、プラトー電位が起きても数秒間の記憶ができないってこと?すごく大事なタンパク質なんだな!
その通り。CaMKIIがないとBTSPの時間窓が大幅に短くなることが実験で確認されているよ。さらに2025年のJournal of Neuroscience誌のレビュー論文では、BTSPに類似した可塑性メカニズムが海馬以外の脳領域にも存在する可能性が議論されている。つまり空間記憶だけでなく、エピソード記憶や意思決定にも関わっている可能性があるんだ。
エピソード記憶って…「昨日カフェでパンケーキを食べた」みたいなやつか?
そう。「いつ・どこで・何が起きたか」を丸ごと覚える記憶だね。エピソード記憶は基本的に1回の体験で形成されるだろう?「3回同じ体験をしないと覚えられない」なんてことはない。BTSPがまさにその神経基盤だと考えられている。
確かに!昨日タケルにパンケーキをおごってもらったことは一発で覚えてる!
…おごってもらったんじゃなくて、たかったんだけどね。まあいいけど。で、BTSPの研究から日常に活かせるポイントが3つあるよ。
第1に「全身全霊で体験すること」。プラトー電位は脳が「重要だ」と判断したときに発生する。受動的にぼーっとしていてはダメで、五感をフルに使って能動的に注意を向けることが大切。第2に「体験をストーリーとして繋げること」。BTSPは数秒間の出来事の流れをまるごと記憶する。バラバラの事実より因果関係や時間の流れで繋げた方が圧倒的に記憶しやすい。
だから歴史の年号を丸暗記するより、ストーリーとして覚えた方が忘れにくいのか!
そして第3に「新しさ」が重要だ。BTSPは特に新規の体験に強く働く。慣れた環境ではプラトー電位は起きにくい。学習効率を上げたいなら、いつもと違う環境ややり方を取り入れることが有効だ。
よし!わかったぞイーモリ!僕は今からBTSPを最大限に活用して、地球人の記憶力を爆上げ…
…僕らは調査に来たんであって、地球人に不要な介入をしてはいけないよ。何度言ったら。
じゃあせめてBTSPでパンケーキの焼き方を完璧にマスターする!集中して、ストーリーとして繋げて、新しい環境で!
今日のまとめだよ。脳にはBTSPという「瞬間学習」の仕組みがあり、従来のヘブの法則とは異なり、たった1回のプラトー電位で数秒間の体験をまるごとシナプスに焼き付けることができる。海馬の場所細胞の形成に始まり、エピソード記憶など広い学習に関わる可能性が高い。日常で活かすには「集中」「ストーリー化」「新しい体験」が鍵だ。
脳って…本当にすごいな。僕たちの拡張機械なしで、こんな高度な仕組みを進化させるなんて。よーし、明日はタケルにパンケーキの焼き方をBTSPで教わるぞ!
…結局パンケーキに落ち着くんだね。
参考文献
Bittner, K. C., Milstein, A. D., Grienberger, C., Romani, S., & Magee, J. C. (2017). Behavioral time scale synaptic plasticity underlies CA1 place fields. Science, 357(6355), 1033–1036. https://doi.org/10.1126/science.aan3846
Magee, J. C. (2026). Behavioral timescale synaptic plasticity: properties, elements and functions. Nature Neuroscience. https://doi.org/10.1038/s41593-026-02214-2
Xiao, K., Li, Y., Chitwood, R. A., & Magee, J. C. (2023). A critical role for CaMKII in behavioral timescale synaptic plasticity in hippocampal CA1 pyramidal neurons. Science Advances, 9(36), eadi3088. https://doi.org/10.1126/sciadv.adi3088
Journal of Neuroscience (2025). Behavioral Timescale Synaptic Plasticity: A Burst in the Field of Learning and Memory. Journal of Neuroscience, 45(46). https://www.jneurosci.org/content/45/46/e1332252025
Wu, Y., & Maass, W. (2025). A model for behavioral time scale synaptic plasticity (BTSP) provides content-addressable memory with one-shot learning. Nature Communications, 16(1), 342. https://doi.org/10.1038/s41467-024-55563-6